第1話「国宝お嬢様」
最初にハッキリ言っておこう。
私は犬山城が好きだ。
地元民として、幼い頃から見慣れた景色として、そして純粋に「かっこいいな」と思うものとして――
徒歩圏内に国宝があるという事実を、私はちゃんと誇りに思っているのだ。
年齢は20代半ば、地元在住、仕事は近くのスーパーのレジ打ち。
特に取り柄のない私だが、ただひとつだけ、これだけは誰にも負けないものがある。
それは――
犬山城に登ること。
小さい頃からずっと、大人になっても暇さえあれば犬山城に登っているのだ。
(ま、まあ、地味な趣味ではあるけどね…)
そして今日も、私はいつも通り犬山城に来ていた。
平日の午前中――
観光客は少なく、空気はひんやりして、石段には朝の光がまっすぐ落ちていた。
「よし」
誰に言うでもなく一言つぶやいて、登り始める。
この階段、なかなか急だ。
途中で立ち止まっている観光客を見かけることも結構多い。
登り慣れている私でも、気合の一つも入れたくなるくらいだ。
でもこの膝が笑うギリギリのラインを攻めてくる感じが、なんというか、クセになる。
(慣れてくれば、このくらいがちょうどいいんだよね)
私はしみじみと思った。
(もう…全部好き)
ゆっくりと自分のペースで登る。
周りには誰もいない。
たったひとりだけの空間が心地いい。
息が上がってきた頃に、ふっと視界が開けた。
木曽川が光っている。
山が緑で、空が青い。
「……はあ、最高」
コレだよ、コレ。
この瞬間のために登ってるんだ、私は――
異変が起きたのはその時だった。
「ちょっと、お時間、よいかしら…!?」
(ヒッ!!)
声をかけられると同時に、背後からふわっとひんやりした空気が漂ってきた。
(ヤ、ヤバい奴…かも?)
私は震えながらも声を振り絞った。
「だ、だ、だ、誰ですか?」
振り返ってはいけない。
何かで読んだことがある。
この手のヤツは、見てはいけないのだと…
「ごめんなさいね、お忙しいところ」
後ろからの声が続いた。
「あら、今日は元気ないじゃない?」
(イヤイヤイヤ…
さっきまでは元気だったんです!
アナタが出てくるまでは…!)
「な、何か用ですか?」
なるべく後ろを見ないように注意して尋ねる。
「別に用というわけじゃないけれど――」
“後ろの声”は話を続ける。
「あなたいつも来てくれるから、お話ししてみようかと。
ちょうど人もいないしね」
(あれ?私が気づいてなかっただけで、スタッフさんが声かけてきたのかな?)
私はつい油断して、後ろを振り返った。
「!!……」
(見なきゃよかった!)
背後には誰もいない。
代わりに、先ほどの冷気が体を包み込んだ。
(ノウ…もう確定…
私、終了…)
うなだれる私に、“声”は続いた。
「いつもあなたを見てますよ」
(め、目をつけられている…)
私は怯えながら尋ねた。
「せ、戦国時代のお姫様か何かですか?」
マジ、チビりそう…
いや、返答次第では確実にチビる自信がある。
「あら、まだ気づいてないの?」
冷気が、すうっと体を包んだ。
「私よ、私」
(人違いでは…!?)
もう声を出す余裕もない。
そのときだった。
視界の端で――
天守の屋根がほんのわずかだけ“揺れた”気がした。
(え……?)
風なんて吹いていない。
それなのに、今確かに――
「ようやく気づいたみたいね」
背後の“声”が少しだけ楽しそうに笑った。
「私、犬山城だよ――」
私はその場で固まった。
「お城…がしゃべってるんですか?」
「天守、だね。正確には」
「天守。犬山城…の?」
「そう。私、かれこれ400年以上もここにいるんですよ」
天守は「ウフフ…」と静かに笑った。
いつしか私は、怖さを感じなくなっていた。
天守の穏やかな声がそうさせるのかもしれない。
「えっと、犬山城さまは…」
私が話そうとすると、
「天守、でいいですよ」
優しい声で天守は言った。
私は小さい頃からずっと、犬山城を見上げて育ってきた。
大人になってからは数えきれないくらい天守に登っている。
そして今、その大好きな犬山城天守とおしゃべりを――
ツッコミどころ満載だが、私はこの状況を受け入れた。
幸いチビらずにすんだし、気持ちもずいぶん落ち着いてきた。
「で、では天ちゃんって呼んでもいいですか?」
「天ちゃん――?」
体を包んでいた冷気がピタリと止まった。
「はじめてしゃべったばかりの間柄ですよ。
それに――」
天守は少し間を置いた。
「私、国宝なんですけど」
(あっ…!)
優しい話しぶりと穏やかな声につられ、つい馴れ馴れしくしてしまった。
「距離感…」
天守はつぶやく。
「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ…」
このお嬢様はなかなか扱いが面倒そうだ。
しかしどことなく憎めない、柔らかな雰囲気が心地いい。
「しかし、なぜ私なんぞにお声がけを?」
「実は、久しぶりに外にお出かけしたくて。
でもひとりでは無理だから、ご一緒してもらおうかと」
天守がお出かけ…
まあいい、私はすべてを受け入れる…
そう決めた…
「そういう事なら、かまいませんが」
「ホントに!?ありがとうございます!」
揺蕩っていた冷気がプルッと揺れた気がした。
「では行きましょうか」
私が言いかけたとき、体の周りを覆っていたひんやりとした感触がフッと消えた。
そしてその代わりに現れたのは――
ほんわかした雰囲気のおっとりとしたお嬢様だった。
(あっ!実物…見ちゃった……)
今までは声だけだったのでなんとかメンタルを保てていたが、ご本人様登場するとなれば話は別だ。
(アッチに連れていかれるとか…あるんかな?)
「お父さん、お母さん、今までありがとう」
私は無意識のうちにつぶやいていた。
あっ、そうだ。
人は死ぬとき、人生が走馬灯のように駆け巡るって言うな…
私は今、駆け巡っていない。大丈夫!
(気持ちを強く持とう!)
自分に言い聞かせた。
ちゃんとしてないと、アチラの世界にタマシイをもっていかれそうな気がする。
(よし、がんばれ、自分!)
改めて、降臨なさった天守さまを見てみる。
全身、白コーデ――
陽の光をやわらかく返す、漆喰みたいな白。
重なった生地のラインは、どこか天守の階層を思わせる。
彼女がわずかに動くたび、ふわりとその白が揺れて――
(すごい。さらりと着こなしてらっしゃる)
さすがは名門の国宝お嬢様。
(私には到底ムリ…!)
そこはかとない敗北感…
(とはいえ…)
私は天守を二度見した。
(その格好で、“あの”階段を降りるつもりかな…?)
ちょっと思ったが、まあ、言うのはやめておいた。
「それでは、お願いします」
天守はゆっくりと頭を下げた。
「あ、ハイ。こちらこそ」
私もつられて頭を下げる。
数百年ぶりの犬山城天守のお出かけ――
私は胸をときめかせながら、天守と一緒に歩き出した。
――そのとき。
床に響く足音が、やけに大きく感じた。
コツ…コツ…コツ…
(あれ…?)
私と天守。
二人だけのはずなのに。
なぜか足音は三人分――ある気がする。
私は思わず後ろを振り返った。
けれどそこには――
誰もいなかった。
【次回へ続く】
天守たちの行く手を塞ぐあの“急階段”!
ビビる天守!
あきれる私…
そして、足音の正体は?
果たしてお出かけは成功するのか――
次回『私、守られてる!?』
お楽しみに!