「犬山城って、なんであんな場所にあるの?」
そう思ったことがある人、多いんじゃないでしょうか。
実はあの場所――
“ただの”絶景スポットではありません。
戦国武将がガチで選んだ「最強立地」なんです。
今回は、犬山城がなぜあの場所に築かれたのかを、ちょっとユーモアを交えつつ分かりやすくお話ししていきます。
たっちこれから「犬山城物語」として連載していきます。今回は第一話ですよ。
数キロの引っ越しが、すべてを変えた
時は戦国時代。
尾張のとある場所に、ひっそりと城がありました。
その名も――
木之下城。
城主は、織田信康。
あの織田信長の叔父――



信長のお父さん(織田信秀)の弟ですよ。



織田家の中でも戦略担当寄りの人物です。
彼はある日、ふと思います。
(この城、悪くはない…)
(守れるし、住めるし…)
でも――
(なんか…“決め手”がないな)
数キロ先に“ヤバい土地”を見つける


そんなある日。
信康はある場所に立ち止まる。
大河川・木曽川沿いの断崖の上。
しかも中山道と木曽街道の結節点のすぐ近く。
眼下の雄大な木曽川の流れを見ながら、彼は考えていた。
- 目の前には木曽川→天然の堀&物流ルート
- 中山道・木曽街道に接続→人の流れが集中
- 小高い山の上→守りやすい



現代風に言うと、「高速IC近く+駅近+高台の安全エリア」って感じですね。
信康「…ちょっと待って、ここ強すぎない?」
正直、欠点が見当たりません。
信康「三拍子どころか全部入りですやん!」
戦国武将、まさかの“不動産目線”
お城といえば政治・軍事の重要拠点。
普通の武将ならこう考えます。
「守れるか?」
でも信康は違いました。
「ココ、流れ全部押さえられるやん?」
- 人の流れ
- 物の流れ
- 金の流れ
- 情報の流れ
全部ここ通る。
まさに――
“流れを支配する場所”。
信康「ここは――“戦う前に勝てる場所”や」
――確信。
「ここ、メッチャ“いい物件”じゃない?」



現代で言うと、「駅近・川沿い・高台のタワマン立地」みたいなイメージ。
信康「ここ、全部そろってるやん…」
信康の中で、何かが弾けます。
そして出た結論
時は天文6年(1537年)。



ちなみに、1537年は豊臣秀吉が生まれた年ですよ。
信康、静かに決断します。
「引っ越すか」
しかも普通の引っ越しじゃありません。



信康さん、ここに普通に城を建てるかと思いきや…
信康「前の城、持ってくるわ!」
いやいやいや(笑)
そう、彼は木之下城から城郭を移して、新たな地に城を築いたのです。
スケールがおかしい。
「家ごと引っ越し」どころか「城ごと引っ越し」である。



※実際には、資材や構造を活かしつつ再構築したと考えられていますよ。



にしても、戦国時代のDIYはスケールが違うわね。
数キロしか離れていないとはいえ、
- 石
- 木材
- 構造
全部動かしての引っ越しです。



現代で言うと、家を解体してそのまま隣町に再建って感じ?



ノンノン。
「ビルごと移転」くらいの感覚です。
なぜそこまでして移すのか?
答えはシンプルです。
「立地が違いすぎた」
木之下城→普通に良い土地
犬山城の地→チート級の土地
- 川沿い=天然の堀・物資が止まらない
- 街道=人と情報が集まる
- 高台=攻めにくい
つまり、
信康「守り・経済・情報――三冠王や」
信康は完全に気づいてしまったのです。
(ここ押さえたら…)
(戦わなくても勝てるのでは?)



木之下城が「地方の便利な住宅地」だとしたら、



犬山城は「高速IC直結+駅前+商業施設予定地」ですな。
こうして歴史は動いた


そして天文6年(1537年)。
木之下城から移された城は、新たな地に姿を現します。
それが――
犬山城。
犬山城は“立地で勝つ城”だった|犬山城物語まとめ
戦国時代は、刀や槍で戦う時代。
…と思いきや。
実際には、「どこに拠点を置くか」が勝敗を左右していました。
そして犬山城はその答えを体現した城と言えます。
・数キロの移動
・でも価値は別次元
・信康の判断は完全に正解
そして何より、
戦国武将 織田信康――
「彼は、“戦う前に勝つ立地”を選んだ男だった。
――すべては、あの場所から始まる。」



この人、戦国時代じゃなかったら不動産王やってるわ。
「後ろは絶対に攻められない城」ってズルくない?
犬山城の“後堅固(うしろけんご)”というチート構造を徹底解説!



防御力の話なのに、なぜかまた“立地の話”になりますよ(笑)
